新米の季節である。昨年一昨年と米の急騰が騒がれたが、今年は昨年より3割ほど安いという。つやつやの新米ご飯は、塩昆布や佃煮、柴漬けなど、シンプルなおかずでまず味わってみたいものだ。ただし<vol.14>でも述べたが、白いご飯にワインは合わない。合わせるなら、パエリアやピラフなどの“米料理”だ。そのままでは難しかった米は、味付き調理された瞬間にワインとは最高の相性となる。
この2つの料理については、それぞれ<vol.26><vol.48>で述べた通りである。と、ここまで書いて、日本人にとってもっとも馴染み深い米料理を紹介していなかったことに気が付いてしまった。それは、「炒飯」である。あまりにも身近過ぎて、いままで取り上げるのをすっかり忘れていたのだ。ということで、今回は炒飯について考えてみたいと思う。
札幌の町中華「東京五十番」の炒飯
町中華でも高級中華でも、炒飯といえば中華鍋を豪快に振り、強力な炎で一気に炒める料理風景が目に浮かぶ。そのようなプロの料理も良いのだが、多くの日本人にとって初めて食べた炒飯とは、家にあった残りご飯にハムやネギ、卵などあり合わせの具材を混ぜ、油を引いたフライパンで炒める家庭料理としての炒飯、すなわち“家炒飯”(いえチャーハン)ではなかっただろうか。じつは、この家炒飯の広がりこそが、炒飯を日本の国民食レベルにまで普及させるに至った最大の要因なのだ。
ここでいま一度整理しておきたいのは、ピラフと炒飯との違いである。ピラフは先に米を油で炒め、そのあとに具材とともに炊き上げる。炒飯は先に米を炊き、そのあとで炒める。一見似たようなプロセスだが、決定的な違いがある。それは、ピラフは最初からピラフという料理を作るのが目的であるのに対し、炒飯で炊く米は主食としての“白いご飯”であり、どのようにでも食べられる。そのうちの一部、あるいは全部でも可だが、それを炒飯用に使うということになる。
何が言いたいのかというと、主食用に炊いた白いご飯の残り、つまり“冷や飯”をいかに再生活用するかということで生まれたのが炒飯なのだ。これは日本も中国も同じである。日本では1960年(昭和35年)に東芝が電気炊飯器を発売するまで、竈(かまど)に羽釜を据えて薪や炭で米を炊くのが普通であった。中国では1980年代に炊飯器が普及するまで、かなり古い時代から土鍋や鉄鍋で炊いていたそうだ。どちらの国の場合も、相当の手間と時間のかかる重労働であるため、一日分の炊飯を朝に一回のみ行うのが普通であった。
そうなると、昼や夜は当然ながら冷や飯を食べることになる。電子レンジが普及するのは、100年先の話だ。日本では冷や飯を昼は弁当に詰め、夜は粥や雑炊にするなど温めて食べるのが一般的だったようだ。これに対し中国では、早くから油で炒めるという料理法があったため、冷や飯を炒めることで温かい料理として再生させる手法が生み出される。石田かおる『チャーハンという迷宮』によれば、炒飯発祥の国である中国においても、残りご飯の有効活用こそが、そのルーツなのだそうだ。
洋風炒めご飯「チキンライス」
日本において残りご飯を鉄鍋などに入れ、七輪の火で炒め温め直す調理法は、明治に入ってから一般家庭に広がり出す。ただし、最初から中華風の炒飯を作っていたわけではない。1908年(明治41年)、カゴメが日本人の口に合う国産初のトマトケチャップを発売する。その後、大正後期に『主婦の友』などの婦人雑誌が、ケチャップで炒めるチキンライスのレシピを紹介すると、手軽に出来る“洋風炒めご飯”として大人気となる。
大正時代の「チキンライスの素」の広告
さらに、「チキンライスの素」「ハムライスの素」などが発売されると、“冷や飯を炒める”ことが、家庭料理のご馳走として喜ばれるようになるのだ。考えてみれば、炒飯(チャーハン)を日本語読みすれば「炒めご飯」である。必ずしも中華風ではなくても、さまざまな具材や味付けでご飯と炒め、温かな料理に仕上げれば良いわけだ。ちなみに、チキンライスという料理は欧米にはない。中華の料理法で一見洋風に仕上げた、“日本生まれの洋食”ということなのだ。
ところで、文明国の料理で日本ほど油を使うことが少なかった料理体系は、世界的にも珍しいそうだ。これが、チキンライスなど洋風炒めご飯の人気とともに変わり始める。さらに戦後の食糧不足・栄養不足の中で、「一日一回フライパン運動」が起こる。フライパンを使って、カロリー豊富な油をもっと摂取しようという運動だ。さらに1958年(昭和33年)、あみ印食品工業から日本初の「炒飯の素」が発売されると、洋風ではなく中華風の炒めご飯が家庭で簡単に作れるようになる。すなわち“家炒飯”が全国的に普及する契機となるのだ。
現在も発売されている「炒飯の素」
関西など主に西日本では、炒飯のことを「焼き飯」と呼ぶ。これは、お好み焼きやたこ焼きなど、鉄板の上で食材を焼く料理法が深く根付いていたことが大きい。矢沢永吉が30代の頃に出した自伝『成りあがり』には、この焼き飯にまつわるエピソードが描かれている。広島出身の矢沢が横浜に出てきて当時の恋人と食事をした際、彼女が炒飯を頼んだのに対し「チャーハン?それもいいけど、俺は焼き飯にするよ」と言って焼き飯を注文する。出てきたのは、まったく同じ炒飯が2つだった。珠玉の“YAZAWA伝説”の一つとしてお馴染みの逸話だ。
矢沢永吉『成りあがり』
この“焼き飯”だが、じつは江戸時代から存在している。といっても炒飯ではなく、「焼きおにぎり」のことを当時は焼き飯と呼んでいたそうだ。粥や雑炊など“煮る”以外の冷や飯活用法として、“焼いて温める”という手法も普及していたのだ。現在も居酒屋メニューなどで焼きおにぎりを見かけることがあるが、焼き飯という名称で受け継がれている地域もある。島根県の隠岐地方の名物「焼き飯茶漬け」が、まさにそれだ。おにぎりに味噌を塗って焼き上げ、さらに熱い煎茶をかけて食べるという、温かみのある郷土料理である。
島根県隠岐地方の「焼き飯茶漬け」
1990年代、空前の炒飯ブームが訪れる。これは、テレビ東京系で放送された『浅草橋ヤング商店街』(通称“浅ヤン”)に登場した、“炎の料理人”こと周富徳の影響が大きい。周に続き、他にも多くの中華の料理人が注目されるようになり、それぞれの秘伝の技が披露される。そして、パラパラ系か?しっとり系か?炒めるのは、卵が先か?ご飯が先か?などなど、“炒飯論争”までもが巻き起こるのだ。
家庭料理として広く愛され、“国民食”の一つにまで数えられるようになった料理だからこそ、日本人の炒飯への思いはひじょうに深いものがあると言えよう。一方、中国でも一般家庭で広く食べられていることは同じだが、日本とは少々事情が異なる。中国政府が国家公認のレシピとして編纂した『中国名菜譜』には、炒飯は一切登場しない。炒飯は家にある冷や飯と残り物で作るもので“料理”と呼べるものではない、ということらしい。広く親しまれながらも、かの国と日本との扱われ方の違いには驚かされてしまう。
最後に、炒飯に合わせるワインだが、これはもう具材と味付けに合わせると言ったほうがいい。エビ炒飯やカニ炒飯、卵炒飯などは白ワインでも十分イケる。これらの場合でも、炒めの仕上げに醤油を垂らしてほんのり焦がし味を付ければ、軽めの赤のピノ・ノワールがグッと合うようになる。焼豚(チャーシュー)たっぷりの濃厚系のものなら、メルロあたりが良いだろう。あまり難しく考えずに合わせるなら、イタリアの“国民酒”であるサンジョヴェーゼが万能だ。ということで、下記に一本おすすめのオーガニックを挙げておいた。やはり、親しみやすい国民食には、気軽に合わせられる国民酒がぴったりなようである。

サンジョヴェーゼ・マルケ オーガニック(Sangiovese Marche Organic)
生産地:イタリア・マルケ州
生産者:カンティーネ・ヴォルピ
品 種:サンジョヴェーゼ
価格帯:1400円(税抜き)~
