<vol.103> ビーツとワイン

札幌から函館へクルマで向かう途中、国道230号沿いにある「道の駅230ルスツ」で休憩することが多い。ここには野菜直売所が併設されており、ジャガイモ、ニンジン、タマネギなど、地元産の穫れ立て野菜が所狭しと並べられている。その中で、毎回気になっている野菜があった。それは、「ビーツ」である。

 奇跡の野菜「ビーツ」

ビーツは、ロシア料理の「ボルシチ」の材料に使われる根菜だ。一見、赤カブのような見た目なのだが、カブではなくホウレン草と同じ「ヒユ科」の仲間だという。カリウム、ナトリウム、マグネシウム、葉酸、鉄分、ビタミンB6、亜鉛、銅など、さまざまな成分が含まれており、“奇跡の野菜”あるいは“食べる血液”とまで呼ばれているスーパーフードなのだ。ロシア人はビーツを“命の源”として、日々欠かすことがないという。

それにしても、いくら北海道がロシアに近いとはいえ、ビーツが作られていたとは知らなかった。せっかくなので、2玉ほど買って帰ったのだが、季節は夏である。ボルシチのような煮込み料理にするには、少々暑すぎる。いろいろ調べてみると、ボルシチ以外にもさまざまな食べ方があり、夏は「ヴィネグレット」というロシア風サラダにするのが良いと出ていた。ということで、作ってみたのが下記である。

 ロシア風サラダ「ヴィネグレット」

ロシアでは、ジャガイモ、ニンジン、胡瓜など、さまざまな野菜をサイの目切りにして一緒に和えるらしいが、今回はビーツそのものをシンプルに味わいたいので、レタスを添えるくらいにしておいた。ドレッシング(写真左)はヨーグルトベースである。ワインは冷えた赤のピノ・ノワールだ。この組み合わせは、かなりイケる!情熱的な赤の彩りに冷涼感を含んだクールなペアリングとして、その後わが家の定番メニューとなったのであった。

ところで、ボルシチといえば“真っ赤なスープ”という印象が強いが、もともとは赤ではなく“緑のスープ”だったという。なぜなら、ビーツを使っていなかったからである。このスープ自体は中世の初期から飲まれていたとされるが、最初に使われていたのは「ボルシュチウニーク」(=ハナウド)という野草だ。主に貧しい農民の間で飲まれていたもので、この野草の名が後の“ボルシチ”の語源となったと伝えられている。

その後16世紀になると、寒さに強く保存性の高い作物としてビーツへの関心が高まり、ロシアのルーツとされる「キエフ大公国」において盛んに栽培されるようになる。ビーツを使ったボルシチは、その栄養価の高さから大人気となり、農民だけではなく貴族や王族の宮廷料理としても用いられるようになる。“キエフ”とは、現在のウクライナの首都・キーウのことだ。つまり、ボルシチはロシア料理というより、ウクライナの伝統料理ということなのだ。

 牛肉入り「ボルシチ」

18世紀の後半、女帝エカテリーナ2世の時代に帝政ロシアは最盛期を迎える。宮廷晩餐会では、フランスから一流のシェフが多数呼び寄せられ、当時まだ泥臭さのあったボルシチを洗練された高級料理へと進化させる。とくに鴨肉や仔牛肉を一緒に煮込んだボルシチは、ボルドーやブルゴーニュの高級ワインと最高のマリアージュをもたらすものと絶賛される。このようにして、“ボルシチ=ロシアの代表料理”としての位置付けが出来上がっていったのである。

そうはいっても、やはり発祥の地はウクライナである。この国にはハナウドを使った緑のボルシチが現在も残っているのをはじめ、地域によってさまざまなバリエーションが存在する。ビーツの場合も使う量はかなり多く、鶏ベースのスープに豚、牛、羊などさまざまな肉で贅沢に作る。ロシアでは宮廷料理に進化した後、旧ソ連時代にレシピがマニュアル化されてしまったのに対し、ウクライナでは地域ごとに土着的な家庭料理として深く根付いていったのである。

ウクライナといえば、同国出身の大相撲力士・安青錦関(本名:ダニーロ・ヤブグシシン)の活躍には目を見張るものがある。7月の名古屋場所では、優勝決定巴戦を制して3度目の優勝を果たし、見事大関復帰を確実なものとした。現在、ウクライナからはロシア侵攻の戦禍を逃れて約2000人の避難民が日本に滞在している。安青錦は、その人たちの“希望の星”ともいえる存在になっているのだ。

 ウクライナ伝統料理店「DOMIVKA」

東京都江東区の清澄白河駅近くには、「DOMIVKA」(ドミウカ)というウクライナ伝統料理店がある。【DOMIVKA】とは、ウクライナ語で「家」という意味だ。オーナーは日本人だが、日本に長く住むウクライナ人やウクライナ避難民の人たちが中心となって運営しており、今年(2026年)2月にオープンしたばかりだ。じつはこの店、安青錦を支援するために生まれたと言ってもいいくらいなのだ。

安青錦は7歳から相撲を始め、15歳のとき2019年(令和元年)に大阪府堺市で開催された世界ジュニア相撲選手権で3位に入賞。このときに知り合った関西大学の学生のツテを頼りに、2022年2月のロシア軍事侵攻の直後、大相撲の力士になることを目指して17歳で来日する。関大相撲部の練習生として稽古に励んだ後、同年12月には元関脇・安美錦の安治川親方が師匠を務める安治川部屋への入門が決まる。

その後、21歳で令和7年11月の九州場所において幕内初優勝を果たす。その目覚ましい活躍ぶりに勇気づけられた日本在住のウクライナの人たちの、「安青錦に故郷の料理をぜひ食べさせてあげたい」という思いから支援の輪が広がり、今回実現したのがDOMIVKAなのだ。店が位置するのは安治川部屋から徒歩10数分の場所でもあり、安青錦も“もう一つのわが家”のように思って、頻繁に訪れているそうだ。

 安青錦関と「DOMIVKA」のウクライナ人スタッフ

ところでビーツには「硝酸塩」が豊富に含まれており、これが体内で吸収されると一酸化窒素(NO)に変化する。一酸化窒素には血管の筋肉を緩めて血管を拡張させる作用があるそうだ。血管が広がることで、酸素や栄養素が効率よく筋肉に運ばれ、持久力と瞬発力が高まるのだという。ということは、安青錦のあの頑なに崩さない低い前傾姿勢と、そこから一瞬のタイミングで繰り出す「内無双」などのひねり技は、まさにビーツが源になっているとさえ思えてきてしまう。

「DOMIVKA」のウクライナ・ボルシチ

夏はサラダで味わったビーツだが、冬にはやはりボルシチにトライしてみたいと考えている。ロシア風の品の良いものよりも、ニンニクもたっぷり使うというウクライナの土着的な家庭料理の方にそそられてしまう。サラダにはピノ・ノワールを合わせたが、ウクライナ風ボルシチにはウクライナのワインがいいだろう。ということで、世界的にも評価の高いウクライナのメルロを一本、下記に挙げておいた。ボルシチと合わせる日が楽しみである。

シャトー・チザイ メルロ(Chateau Chizay Merlot)
生産地:ウクライナ・ザカルパッチャ
生産者:チザイ
品 種:メルロ
価格帯:3100円(税抜き)~

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