<vol.92> バインミーとワイン

いま、「バインミー」が人気らしい。全国各地で専門店が、この10年間で5倍くらいに増えているという。バインミーとは、フランスパンを使ったベトナムのサンドイッチだ。フランスパンとくれば、ワインに合うこと間違いなし。札幌地下街ポールタウンにも専門店かあるようなので、早速テイクアウトで買って来たのである。

 サイゴンフレッシュの「バインミースペシャル」

行ったのは、「サイゴンフレッシュ」という店だ。ここの人気No.1という「バインミースペシャル」760円(税込)を購入した。表面がパリッ、内側がふわっとしたバゲットの中に、レバーパテとマヨネーズが塗られ、ベトナムハムと豚肉、なます、パクチー、キュウリなどが挟まっている。“なます”というのが少々意外な感じだが、甘酸っぱい味わいがピクルスのように全体を引き締め、赤ワインのピノ・ノワールともたいへん良い相性であった。

「バインミー」(Bánh mì)とは、ベトナム語で「パン」を意味する。ベトナムには本来、パンというものは存在しなかった。ベトナムにパンがもたらされたのは、19世紀後半のフランス統治時代である。もともとは植民地のフランス人向けに作られたものだったが、徐々に現地人にも浸透し、第一次世界大戦後の小麦粉不足により「米粉」を混合するようになったことで、独特の“パリふわ”食感が生まれたのだという。

このバインミーが、いまアメリカでも大人気となっている。ヘルシー志向の高まりから、ハンバーガーの代替品として注目を集め、着実に店舗数を増やしつつある。2024年には、CNNが「世界で最も美味しいサンドイッチ」の第1位にランクしているほどなのだ。とくにベトナム料理店が多いカリフォルニア州では人気が高く、カリフォルニアワインのピノ・ノワールやソーヴィニヨン・ブランと合わせるのがもっとも好まれているそうだ。

アメリカにバインミーをもたらしたのは、1975年のベトナム戦争終結後に大量に受け入れられたベトナム難民・移民の人たちだ。アメリカでは、戦争責任と人道的責任および反共産主義をアピールする目的から、約80万人ものベトナム人を受け入れたのだ。彼らはカリフォルニア州のリトルサイゴンをはじめ、各地に独自のコミュニティを形成するようになる。そこでのベーカリー店で売られ出したのが、そもそもの始まりなのだ。

 映画『地獄の黙示録』のポスター

ベトナム戦争を描いた映画としては、フランシス・フォード・コッポラ監督の『地獄の黙示録』(1979年公開)がとくに有名だ。筆者も観たが、空前絶後のスケールで展開する戦争アクション映画の超大作という印象だった。原題は『Apocalypse Now』で、直訳すれば“現代の黙示録”ということになる。地獄のような戦争の狂気を現代に示す、という意図から、そのような邦題が付けられたものとされている。

ただし、1979年に公開された作品は、コッポラが本来意図したものとは異なり、興行上の目的から大幅にカットされ2時間27分に短縮されたものだったのだ。諦めきれないのは、コッポラである。20年以上を経た2001年には、泣く泣く削った55分余のカットを復活させ、3時間22分の『特別完全版』として新たに公開したのだ。

この『特別完全版』について、立花隆が文芸春秋2002年2月号に「『地獄の黙示録』22年目の衝撃」という論文を寄せている。その中で、「世界文学に匹敵するレベルの最高の映画作品」とまで絶賛しているのだ。1979年公開版は超大作とはいっても、いわゆる“戦争映画”の範疇を出ないものだった。ところが、『特別完全版』はまったく違う作品に仕上がっている。

その理由は、1979年版では全面削除されていた“全撮影中で戦闘シーンよりも費用が掛かったシーン”なるものが、『特別完全版』ではまるごと挿入さているからなのだ。それは「フレンチ・プランテーション(フランス人植民農園)」のシーンである。ゴム農園の本格的なセットを作り上げ、フランスから多数のフランス人俳優を呼び寄せて撮影されたものだ。

 フランス人入植者の食事シーン

その中の食事シーンでは、フランス人農園主に雇われているベトナム人シェフが、本格的なフランス料理を給仕するシーンがある。そこには一瞬ではあるが、バゲット(フランスパン)も映っている。この映画の時代設定は、一応1969年ということだ。インドシナ戦争後、ベトナムは旧宗主国フランスからの独立を勝ち取る。その後、北ベトナムの勝利により共産主義化され、植民農園は完全に消滅する運命となる。

しかし当時はまだ、この土地を開拓し、ここで生まれ育った多数のフランス人の子孫たちが、植民農園の中で普通の生活を送っていたのだ。彼らは私兵を雇ってまでして、植民地支配時代の遺産である自分たちの土地を守るため戦おうとする。そして、明確な大義もないままベトナム戦争に介入し、意味のない戦闘を続けているアメリカを、自分たちの身勝手な理屈で非難するのだ。

つまり、コッポラが本当に描きたかったのは、単に戦争の狂気ではなく、大航海時代から始まるヨーロッパ中心の植民地支配の終焉と帝国主義の末路であり、“世界文明がもたらす狂気と偽善”といったものだったのだ。それはさらに、現在へと続く未来への負の連鎖をも暗示しているかのようである。だからこそ“現代の黙示録”(Apocalypse Now)という、原題が持つ本来の意味が当てはまるのだと言えよう。

話をバインミーに戻す。バインミーはベトナムの屋台などで、10,000ドン~30,000ドンくらいで売られている。10,000ドンは現在の日本円で約60円である。こんな安いものがなぜ、“万単位”という高額表示されるのかというと、これはベトナム戦争後のハイパーインフレの影響なのだ。戦後、ベトナムでは物価が約100倍に上昇した結果、このような表示になってしまったのだ。

じつは同様のことは、戦後の日本でも経験している。戦前の貨幣単位は、「円」「銭」「厘」の3つがあった。当時の1円は現在の1,000円くらいに相当する。それが戦後の物不足により物価が100~300倍に上がってしまい、通貨の価値が急落してしまったのだ。そのため政府は「小額通貨整理法」を発令し、銭と厘を廃止して円に一本化。千円札、五千円札、一万円札の高額3紙幣を新たに発行することで、商取引の円滑化を図ったのだ。

 ベトナム屋台の「バインミー・チャー・カー・ノン」

この写真にある「Bánh Mì Chả Cá Nồng」(バインミー・チャー・カー・ノン)とは、魚のすり身が入ったバインミーのことだ。これが、17,000ドン(約100円)で売られている。着目してほしいのは、それが「17K」と書かれていることだ。“K”は「キロ」の略で1,000の意味であることから、新紙幣は発行せずとも、このような表記の工夫でやり繰りしているのだそうだ。

さて、今回紹介するワインである。じつはコッポラは無類のワイン好きで知られ、カリフォルニアで自身のワイナリーを経営しているほどなのだ。ということで、下記に一本挙げておいた次第である。コッポラ監督の『特別完全版』に敬意を示す意味でも、これ以上ない選択としてぜひおすすめしたいのである。

ダイアモンドコレクション ピノ・ノワール(Diamond Collection Pinot Noir)
生産地:アメリカ・カリフォルニア州
生産者:フランシス・フォード・コッポラ・ワイナリー
品 種:ピノ・ノワール主体
価格帯:3300円(税抜)~

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