奈良・東大寺の「正倉院」といえば、平城京時代の聖武天皇・光明皇后ゆかりの貴重な美術工芸品を数多く収蔵した建物だ。中国(唐)はもちろん、遙か遠く西域のペルシャからの交易品も多いことから、「シルクロードの東の終着点」と呼ばれていると、かつて日本史の授業では習った。
奈良・東大寺の「正倉院」
毎年秋になると、「正倉院展」が奈良国立博物館で開催される。年に一度、宝物の点検を行う際、それに合わせて一般にも公開するものだ。展示物の一つで「瑠璃杯」(るりのつき)というものがある、いままであまり意識したことはなかったが、ある程度ワインを勉強した眼で改めて見てみると、これは明らかに“ワイングラス”ではないだろうか?
正倉院の「瑠璃杯」(るりのつき)
ということは、聖武天皇はワインを飲んでいたのか?そもそも、8世紀初頭の奈良時代にワインがあったのか?記録上、日本にワインが伝わったのは<vol.3>でも述べたが1540年代の戦国時代である。それ以前となると、<vol.18>で述べたヤマブドウを自然発酵させた果実酒の原型のようなものか、ブドウ果汁を日本酒に混ぜたもの、ということになる。
どういうものだったかは解明されてはいないが、近年の研究によると、聖武天皇が“ワインらしきもの”を上記写真の瑠璃杯で飲んでいた可能性がかなり高いそうだ。瑠璃杯は、ガラスの部分はササン朝ペルシャ(226年-651年)で作られ、脚の金属部分は中国で作られて接合され、日本へ運ばれたものと考えられている。
松本清張が1970年代の中頃に発表した『火の路』という小説がある。飛鳥時代の日本に、世界最古の宗教である「ゾロアスター教」が伝来していたという大胆な仮説を巡り、新進気鋭の女性考古学者を主人公に展開される、壮大な古代史ミステリーである。後に1976年(昭和51年)には、栗原小巻主演によりNHKでテレビドラマ化もされている。
ゾロアスター教は、紀元前7世紀頃に古代ペルシャで成立したとされ、“火”や“光”を善の象徴として尊ぶため、「拝火教」とも呼ばれる。開祖は「Zoroaster」(ゾロアスター)だが、これはラテン語由来の呼び名であり、古代ペルシャ語では「Zarathustra」(ツァラトゥストラ)となる。そう、19世紀ドイツの哲学者ニーチェが『ツァラトゥストラはかく語りき』の中で「神は死んだ」と語らせた、あの“ツァラトゥストラ”である。
ニーチェがツァラトゥストラを引き合いに出したのは、近代社会においてキリスト教に基づく絶対的価値観が崩壊したことを象徴的に表すためであり、実際のツァラトゥストラはそのようなことは語っていない。むしろ、善なる「光明の神」と悪なる「暗黒の神」の抗争という“善悪二元論”で全宇宙の構造と森羅万象を解釈しようとしたものなのである。
ちなみに、リヒャルト・シュトラウス作曲の交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』はニーチェの思想に影響を受けて作られたものであり、人間存在の根源的な謎と超越を表現しようとしたものだという。同曲は1968年公開の映画『2001年宇宙の旅』の挿入曲として使われ、近年では元K1ファイターのボブ・サップの入場テーマにもなっている。
奈良県明日香村の「酒船石」遺跡
『火の路』は、奈良県明日香村にある「酒船石」(さけふねいし)をはじめとする謎の石造遺跡群を巡り展開する。酒船石は6世紀の斉明天皇の時代のものとされるが、何の用途で造られたかは不明だ。主人公の考古学者は、これをゾロアスター教の儀式に関連したものと推定し、古代ペルシャの遺跡調査に旅立つ。古代ペルシャとは、現在のイランである。
執筆にあたっては、松本清張自身がイランに取材旅行に訪れている。1970年代初頭のイランといえば、1979年のイラン革命前である。ビールやワインがレストランで普通に飲まれ、街はTシャツにジーンズのアメリカ風を真似た若者達で賑わい、若い女性はチャドルで体を覆うこともなく、ミニスカート姿が目立っていたなど、当時のイランの様子がリアルに描かれており、たいへん興味深い。
小説では結果的に、酒船石がゾロアスター教の儀式に用いる薬草酒「ハオマ酒」を調合する設備ではなかったかと推論される。そして、すでに当時、多数のペルシャ人が日本に渡来し、儀式を行っていた可能性について言及するのだ。記録上は「胡人」と呼ばれるペルシャ人が渡来したのは736年(天平8年)とされるが、斉明天皇の時代からだとすると、さらに100年ほど早まり、大陸との交易に重要な役割を果たしていたことになる。
ペルシャで紀元前2000年頃からワインが造られていたことは、<vol.68>でも述べた。ということは、聖武天皇が飲んだというのは、ペルシャからシルクロードで運ばれて来たワインだったのだろうか?と一瞬思ったが、残念ながらそれは無理である。灼熱の砂漠をラクダの背に乗せて何千㎞も運んだのでは、ワインはすっかり変質し腐敗してしまう。とても飲める代物ではない。
ただ、ひとつ確かなことは、ペルシャ人は紀元前2世紀の漢の時代には、すでに交易のため中国へ来ていたということだ。中国は現在、世界第10位のワイン生産国である。古代においても、ワイン造りに適した気候風土はあったはずだ。そこにワイン造りに長けたペルシャ人が来ていれば、彼らの手でワインが造られたか、あるいは技術を伝播したかの可能性は考えられるのである。
正倉院の「白瑠璃瓶」(はくるりのへい)
筆者が着目したのは、同じく正倉院の収蔵物である「白瑠璃瓶」(はくるりのへい)だ。聖武天皇へ献上された、ササン朝ペルシャで作られたガラス瓶なのだが、それは単に優れた美術工芸品としてだったのだろうか?空の器としてではなく、実際に何らかの液体を満たして容器ごと献上されたとは考えられないだろうか。
それはつまり、中国で造られたワインをこの瓶に入れ、遣隋使・遣唐使の船で運んだ可能性である。それならばワインは変質・腐敗するほどではなく、十分に飲むに値するのである。ちなみに、ペルシャの時代や革命前のイランで伝統的に造られていたワインは、「シラー」種を用いたものだという。
イランの代表的料理「チェロキャバーブ」
以前に<vol.24>でも紹介したように、シラーはジンギスカンにもっとも合うワインだ。イランの代表的料理に「チェロキャバーブ」というものがある。“キャバーブ”とは、羊肉を焼いたもの。つまり“ケバブ”である。これにサフランライスを添えたものがチェロキャバーブだ。羊肉料理の本場・中東のイランでも、やはり羊肉にはシラーだったのだ!このペアリングには、たしかに納得させられる。
ペルシャ人が白瑠璃瓶にワインを入れて船で運んだというのは、あくまでも筆者の想像に過ぎない。松本清張の仮説に刺激され、思わず妄想が膨らんでしまったまでである。しかし、羊肉にシラーが合うのは、筆者はもちろん、多くのワイン愛好家が認めるところだ。下記に挙げたのは、筆者がもっとも気に入っているシラーだ。羊肉との相性は仮説ではなく、実証済みの一本として、ぜひおすすめしたいのである。
デル・スール シラー レゼルヴァ(Aves del sur Syrah Reserva)
生産地:チリ・セントラルヴァレー
生産者:ビーニャ・デル・ペドリガル
品 種:シラー
価格帯:1300円(税抜)~