<vol.79> 会議とワイン

「会議は踊る、されど進まず」という言葉がある。ナポレオン戦争後のヨーロッパの秩序回復と領土分割を目的に、1814年にオーストリア帝国の首都ウィーンで開催された「ウィーン会議」を揶揄したものだ。世界史の授業で一応習ったが、まさかこれにワインが深く関係しているとは知らなかった。

ヨーロッパ各国の代表が集った「ウィーン会議」

そのワインとは、フランス・ボルドーの1級格付5大シャトーのひとつに数えられる「シャトー・オー・ブリオン」である。他の4大シャトー、「シャトー・ラフィット・ロートシルト」「シャトー・ムートン・ロートシルト」「シャトー・マルゴー」「シャトー・ラトゥール」が、すべて「メドック(Medoc)地区」であるのに対し、オー・ブリオンは唯一「グラーヴ(Grave)地区」から選ばれている。

英語で“gr”で始まる単語は、【great】(偉大な)、【grand】(大きな)、【grace】(恵み)など、高貴で格調高い意味を持つものが多い。フランス語の【grave】もてっきりその類いの言葉で、さぞ優美で品のある意味を持つのかと思っていたら、これが大違い。何と、「砂利」(じゃり)という意味なのだ。そう、あの石ころの砂利である。

じつは、この“砂利”こそが、シャトー・オー・ブリオンの品質を決定づけている最大のポイントなのだ。“グラーヴ”という地名は、その名の通りピレネー山脈を源流とするガロンヌ河が運んだ砂利に覆われていることに由来する。砂利質の土壌は水はけが良く、日中の太陽熱を蓄え、夜間に放出することでブドウの成熟を促し、凝縮感のある豊かな果実味を育てる。濃厚かつエレガントなフルボディの赤ワインとなり、今日のボルドーワインの原型をもたらしたものと賞賛され続けている。

稀代の策士・フランスの外交官タレーラン

このシャトー・オー・ブリオンを携えてウィーン会議に臨んだのが、稀代の策士と評されたフランスの外交官シャルル・モーリス・ド・タレーランである。タレーランは連日連夜、各国の代表者を美酒と美食を設えた舞踏会に招き、とっておきの切り札オー・ブリオンを大盤振舞いする。各国の要人たちはオー・ブリオンのあまりの美味しさに陶酔し、宴ばかりが盛り上がり会議は一向に進展せず、時間だけがいたずらに過ぎていったという。

この会議で議長を務めたのは、後に“鉄血宰相”と呼ばれたオーストリアの外交官クレメンス・フォン・メッテルニヒだ。メッテルニヒもまた、自国に有利に会議が進むよう、地元オーストリア産の高級貴腐ワイン「ヨハニスベルガー」を饗宴の席に持ち込み、各国要人たちに存分に振る舞う。貴腐ワインについては<vol.10>でも述べたが、このワインもまた、フランスの「ソーテルヌ」、ハンガリーの「トカイ」と並び、“世界三大貴腐ワイン”に数えられるものなのだ。

しかし、この“ワイン外交”はタレーランに分があった。というのも、タレーランはワインだけではなく、料理人も同行させていたのだ。しかも、当時“天才料理人”と呼ばれていたアントナン・カレームを、である。カレームは。現代フランス料理の基礎を築いた人物であり、彼の作る料理とオー・ブリオンとは究極のペアリングであった。メッテルニヒの貴腐ワインも世界最高のものではあったが、かなり甘口のデザートワイン(食後酒)であり、食事と伴にするには少々無理があったようなのだ。

そうこうしているうちに、思わぬ知らせが会議に届く。島流しになっていたナポレオンが、エルバ島から脱出したというのだ。危機感を抱いた各国代表は合意を急がざるを得なくなり、早々に「ウィーン議定書」が締結されることとなる。この結果、フランスは敗戦国であるのにも関わらず、ほとんど領土を失わずに済むこととなったのだ。シャトー・オー・ブリオンは、フランスの国難をその美味で救った“救国のワイン”として、特別な存在となったのである。

ボルドーの格付が誕生した経緯については、<vol.75>でも詳しく延べた。一級格付の選定は、もともとメドックを基準にしたものであり、それ以外の地区からは想定していなかった。しかし、当然異議は出た。オー・ブリオンを選ばずして、何が1級格付けだ!ということである。何しろ、祖国の危機を救った伝説のワインなのだ。かくして、唯一グラーヴ地区から選出されることとなったのである。

それにしても、タレーランのワイン外交の巧みさには驚かされる。ウィーン会議で主導的立場にあった国はイギリスだが、彼はイギリス人のワインの好みまでもを熟知していたのだ。それはボルドーの濃厚タイプであり、オー・ブリオンは最高のはまり役であった。ワインに詳しいと、何かと強運に恵まれるものなのかもしれない。筆者も、ますます研鑽に励みたいものである。

シャトー・オー・ブリオン2019(Chateau Haut Brion 2019)
生産地:フランス・ボルドー/グラーヴ地区
生産者:シャトー・オー・ブリオン
品 種:カベルネ・ソーヴィニヨン+メルロ
価格帯:99,000円(税抜)~

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