「願はくは花の下にて春死なむ その如月の望月のころ」。これは、平安時代末期の僧・西行法師の辞世の歌だ。この場合の“花”とは、もちろん「桜」を指す。西行は、桜をこよなく愛した歌人としても知られている。ちょうどいま、日本全国を桜前線が北上しているところだ。一面の風景を埋め尽くすかのように咲く桜は、古くから多くの和歌などに詠まれ、日本の春の原風景として愛され続けている。
淡い桃色の花が一斉に咲く「ソメイヨシノ」
たしかにその通りなのだが、西行が見ていた当時の桜景色は、いまの時代に多くの人が見ている、白に近い淡い桃色の花が一斉に咲く姿とは、かなり違ったものだったらしい。今日、日本の桜の7~8割は「ソメイヨシノ」(染井吉野)である。この桜は江戸時代の末期、江戸の染井村(現在の駒込)で「オオシマザクラ」と「エドヒガン」を交配して生まれたものであり、西行の時代にはまだ存在しないのである。
葉が出る前に、淡い桃色の花が一斉に咲くという特徴は、このソメイヨシノならではのものだ。古くから自生する固有種の「ヤマザクラ」(山桜)は、より赤味を帯びた花色であり、葉と花とが同時に開花する。花だけが一斉に、まるで視界を埋め尽くすような咲き方はしない。花の薄紅色と葉の緑色が複雑に入り交じった野生種ならではの風景が、西行の目には映っていたものと想像することが出来る。
ところで、桜の開花予想は全国各地の“標本木”と呼ばれる桜の開花を基準とする。東京の場合は、皇居に近い九段の靖国神社の境内にあるソメイヨシノがこれにあたる。じつは、この靖国神社こそが、誕生まもないソメイヨシノを、“日本の春の原風景”として定着させ、全国へと広めてゆく大きなきっかけをもたらしたものなのだ。
靖国神社は1869年(明治2年)、明治天皇の勅命により戊辰戦争の官軍側戦没者の霊を祀る「東京招魂社」として建てられた。創建を手がけたのは、日本陸軍創始者の大村益次郎だ。ただし、もともとの発案は、幕末の英傑であり明治の元勲としても知られる、木戸孝允(桂小五郎)である。完成翌年の1870年(明治3年)、木戸は染井の別邸にあった桜を境内に移植する。これが、今日に続く“靖国神社の桜”の始まりとなると伝えられているのだ。
木戸が最初に植樹したのがソメイヨシノだったのかどうかは、じつを言うとはっきりしない。ただ、その後も何度かに渡って植樹を繰り返すうち、当時の新種として注目されていたソメイヨシノの比率が高くなっていったものと考えられている。靖国神社は、江戸が“東京”になって最初に出来た名所でもある。成長の早いソメイヨシノは、10年目頃にはそれなりに花をつけ、新名所を彩る“春の顔”として人々の心に焼き付けられていくことになる。
靖国神社の桜風景は、地方へも波及する。日清・日露戦争に全国各地から出征した戦没者の霊を祀る「忠魂碑」の建設である。ここには、必ずと言っていいくらい桜が植えられた。そのほとんどが、ソメイヨシノである。各地の忠魂碑は、“地方の靖国”として全国共通の桜風景を創り上げていくことになる。ソメイヨシノは、いつの間にか“国花”のイメージを纏わされてゆくのである。
たしかに、日本人好みの“白無垢”に近い花が一斉に咲き、短い期間で潔く散ってゆくソメイヨシノは、武士道や軍国精神の重要なアイコンとして語られることが多い。ただ事実は、そのような戦前のナショナリズム高揚を目的に植えられたものではない。理由は、単純に成長が早かったからである。また、接ぎ木によるクローンであることから、一定品質のものを比較的安価で大量に植樹することが出来たことも大きい。
そのことは、戦後の復興期~高度成長期にかけても顕著に表れる。全国各地の公園整備や街路、河川敷、学校、公共施設の建設ラッシュが訪れ、そこにこそ大量のソメイヨシノが植えられる。佐藤俊樹『桜が創った日本』によれば、日本の桜の7~8割をソメイヨシノが占めるようになり、今日われわれが見ている桜風景が日本中に出現するようになるのは、まさにこの時代なのである。
桜チップでスモークされた「チーズとレバーの燻製」
ところで、桜は観賞用としてだけではなく、果実(サクランボ)や花と葉は食用として、木材は家具や建材用として、さまざまに利用されている。そのひとつが、燻製用として重宝されている「桜チップ」だ。桜は焚いたときの香りがとくに良く、燻製作りのスモーク材には最適とされている。
ということで、やっとワインの登場である。燻製に合うワインとして、今回はロゼを紹介したい。雑誌『ワイン王国』最新号(4月発売)でも、春らしく桜色にちなみロゼ特集を組んでいた。ロゼの中でも、筆者がもっとも気に入っているのは、ポルトガルのヴィーニョ・ヴェルデのロゼだ。微発泡ならではのフレッシュな酸味が燻製の香ばしさを引き立たせ、相性抜群だ。春にこそ飲んでほしい、おすすめの一本である。
ヴィーニョ・ヴェルデ ハーザ ロゼ(Vinho Verde Raza Rose)
生産地:ポルトガル・ミーニョ地方
生産者:キンタ・ダ・ハーザ
品 種:パデイロ、ヴィニャン他
価格帯:1400円(税抜)~