<vol.38> ローマの休日とワイン

イタリアでは第二次世界大戦後の復興期を経て、ローマ、フィレンツェ、ヴェネツィアなどに大量の外国人観光客が訪れるようになる。それが、さまざまなイタリア料理を生み出すことにつながったことは、<vol.33>「ピザとワイン」の中で述べた。その空前の観光ブームをもたらすきっかけとなったのが、1953年に公開されたアメリカ映画「ローマの休日」なのだ。

某国の王女アンに扮するオードリー・ヘップバーン

この映画は、ハリウッド映画初の全編海外ロケにより製作された。じつは当時のハリウッドは、「赤狩り」=共産主義者排斥運動の真っ只中。監督のウィリアム・ワイラーは、赤狩りへの抵抗運動のリーダーでもあったため、ハリウッドのスタジオを使って撮影することが出来なかったのだ。このため、やむなくローマでの全編現地ロケとなったわけだが、結果的にこれが“本物のローマの風景”“本物のローマ市民の暮らし”を生き生きと映し出すことになる。

“藁巻きボトル”が置かれたグレゴリー・ペックの部屋

映画の中で、安アパートに住む新聞記者役のグレゴリー・ペックがワインを飲むシーンがある。丸みを帯びたボトルを藁で巻いた赤ワイン、「キャンティ・フィアスコ」だ。【fiasco】とは、イタリア語で「失敗」という意味を持つ。ガラス職人がボトルの失敗作に強度補強のため藁を巻いたのが始まりとされるが、本格的に作られ出したのは19世紀の後半からだ。藁が緩衝材の役割を果たし、外国への輸出など長距離輸送に適していたからである。

キャンティとは、イタリアきってのワイン産地であるトスカーナ州のキャンティ地方で造られる赤ワインだ。イタリアの国民的ブドウ品種であるサンジョベーゼを主体に、マルヴァジアやトレッビアーノなど地元品種を混醸し、飲みやすく仕上げたテーブルワインの代表だ。8世紀頃から造られていたと伝えられるが、1872年に地元醸造家であるベッティーノ・リカーゾリ男爵が理想的な混醸率を考案したことで人気が拡大したのだ。

これにより、国外への輸出も急増した。当時はちょうど、初の統一国家である「イタリア王国」が誕生して間もない時期でもあり、国際的にシンボルとなるような商品が求められていたのだ。田舎風の藁で巻いたキャンティ・フィアスコのボトルは、イタリアの素朴な農村イメージを強調するのにぴったりであり、輸出用に大量生産されたのだった。とくに多くのイタリア移民が渡ったアメリカでは、イタリア料理店の定番ワインとして不動の人気を得るようになる。

ただ、その一方で“名前だけキャンティ”と付けられた粗悪品も出回るようになる。1924年、この状況を憂いた優良生産者が集まり、昔ながらの本来の味を守るための「キャンティ・クラシコ協会」を設立。使用するブドウの比率や熟成期間など、細かい規定が定められた。その後1996年には、キャンティ地区の中心部9地区が「キャンティ・クラシコ地区」としてDOCG認定(イタリアの最高格付)を獲得するなど、高い評価を確立するまでになる。

キャンティ・フィアスコは輸出向けには成果を上げたが、第二次世界大戦後に輸送技術の近代化が進むと、製作に手間がかかる藁巻きボトルが割高となることから、国内での流通は通常の“藁なしボトル”が主流となる。そういう意味では、安月給の新聞記者であるグレゴリー・ペックの部屋に、輸出用の割高な藁巻きボトルが置いてあるというのは、厳密に考えると不自然ではある。ただ、アメリカ人にとって、行きつけのイタリア料理店で見慣れたあのボトルが登場することで、遠いローマの地をより身近なものに感じさせる効果はあったはずだ。

ところで、「ローマの休日」はモノクロ作品である。同時代の「シェーン」(1953年)や「エデンの東」(1955年)、さらに10年以上前の「風と共に去りぬ」(1939年)がすべてカラー作品なのに、なぜこの映画だけがモノクロなのか?筆者は、ずっと不思議に思っていた。今回いろいろ調べてわかったのだが、全編ローマでのロケ撮影となったため経費が膨らみ、カラー撮影では製作費が足りなくなってしまうことで、やむなくモノクロにしたそうなのだ。

モノクロは写真でもそうだが、色がない分、人物の表情の機微や建物の陰影などをよりくっきりとシャープに映し出す効果がある。このことは、のちに“スクリーンの妖精”と評されたオードリー・ヘップバーンの可憐な魅力や、トレヴィの泉、真実の口、コロッセオ、パンテオンなど、中世の建築物や古代遺跡の造形美を、かつてないほど鮮やかに印象づける結果をもたらすことになったと言えるだろう。

さて、今回紹介するワインであるが、当然のことながら「キャンティ・フィアスコ」である。映画の中でグレゴリー・ペックは、ワイングラスではなく安物のタンブラーに無造作に注ぎ、グイッと飲む。“庶民の安酒”を意識した演出だが、アメリカ人にとっては、これがむしろ“気軽に飲めるカジュアル・ワイン”として映り、キャンティ人気がさらに高まったそうだ。このワインに関しては、そういう飲み方を真似てみるのも粋かもしれない。

キャンティ・フィアスコ テッレ・デッレ・チヴェッテ(Chianti Fiasco Terre Delle Civette )
生産地:イタリア・トスカーナ州
生産者:テッレ・デッレ・チヴェッテ
品 種:サンジョベーゼ+カナイオーロ・ネッロ
価格帯:1500円(税抜)~

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