<vol.95> 牛トマとワイン

先日放送されたNHKの『ファミリーヒストリー』は、料理愛好家の平野レミのルーツについてだった。その中で紹介されたのが、平野家に代々伝わるという「牛トマ(ぎゅうとま)」という料理だ。何でも平野家の父方の祖父が明治時代に来日したスコットランド人で、スコットランド中部のスターリングという街に由来する家庭料理なのだそうだ。

 牛肉とトマトを炒めた「牛トマ」

料理自体は牛肉とトマトを炒め、仕上げにバジルとサワークリームを加えた簡単なものだ。筆者がとくに興味を引かれたのは、この祖父の祖先が16世紀に「スコットランド国王直属のワインマスター」を務めていたと紹介されたことだ。“ワインマスター”とは、いったい何なのだろうか?

世界で最も権威あるワインの資格として、イギリスで制定された「マスター・オブ・ワイン」(Master of Wine:略称“MW”)というものがある。この資格を有する者は世界でも数百人程度にとどまり、日本ではわずか2名のみである。一瞬、このMWのことかと思ったのだが、制定されたのは1953年であり、これでは年代が合わないことになる。

 スコットランド国王ジェイムズ6世

平野レミの先祖が仕えていた国王とは、ジェイムズ6世(在位1567-1625年)のことだ。後にスコットランド国王とイングランド国王を兼任して“グレートブリテン王”を自称し、英国全体の統一基盤を築いたことで知られている。国旗「ユニオン・ジャック」の原型も、この王の時代に制定されたものだ。

詳しく調べてみると、この先祖が担っていたのは「ワインバトラー」(Wine Butler)という役割とあった。【butler】とは「執事」の意味だ。ワインバトラーは王のためにワインを選び、管理し、給仕する専門職であり、“王室のワイン執事”という名誉ある役職だったのである。この時代、一般的なワイン専門職を指したワインマスターよりも、さらに格上の存在だったということだ。

ところでイギリス人は、大のワイン好きとして知られる。ワインの年間消費量は、アメリカ、フランス、イタリア、ドイツに次いで、世界第5位である。上位4カ国がいずれも世界屈指のワイン生産国であるのに対し、寒冷地のイギリスではほとんどワインは造られておらず、すべて輸入に頼っている。それでいながら5本の指に入る、堂々たるワイン消費大国なのである。

ワインを生産しない国の人々が、なぜこんなにもワイン好きになったのだろうか?ちなみに、イギリス人が最も好むのは<vol.79>でも述べたが、フランス最大の銘醸地ボルドーの濃厚タイプである。じつは、このボルドーがイギリス領だった時代があるのだ。それは12~16世紀の時代であり、英仏間の百年戦争が終結するまでの約300年間だ。

 12世紀後半のイングランド領

1152年、フランス国王ルイ7世の王妃だったエレオノール・ダキテーヌが国王と離婚し、後のイングランド国王ヘンリー2世と再婚する。これにより、王妃の領地だったボルドーを含むアキテーヌ公領がイングランド領となる。ボルドー港は大西洋に面する大きな貿易港でもあり、ここから大量のワインがイングランドへと向かうことになったのだ。

はじめ貴族層を中心にワインを嗜む飲食文化が浸透し、やがて庶民へも広がりだす。百年戦争の終結で領地がフランスへ返還された後も、多くのシャトーがイングランド貴族によって所有されたことから、イングランドでのワイン需要は継続されることになる。このような経緯を経て、ワイン好きな国民文化が広く育まれていくことになったのである。

ところで、世界で最も権威のあるワイン資格がイギリスのMWであることは、前段でも述べた。資格だけではなく、世界で最も権威あるワイン審査会として知られる「インターナショナル・ワイン・チャレンジ」(International Wine Challenge:略称“IWC”)もまた、イギリスで開催されているものなのだ。

IWCは1984年に創設され、毎年ロンドンで開催されている国際的なワイン・コンペティションである。世界各国のワイン専門家が参加し、ブラインド・テイスティングにより世界中からの出品ワインを評価するものだ。出品数・参加国ともに世界最大級の一大ワイン・イベントとして、揺るぎない位置づけにある。

それにしても、同じような大会ならフランスでもアメリカでも行われている。両国とも、世界屈指のワイン生産国でありワイン消費国でもあるのだ。なぜイギリスで行われる審査会が“世界で最も権威ある”となるのだろうか?しかも、イギリスはワイン生産国ではないのである。

じつは、この“ワイン生産国ではない”ということが、最大の要因なのだ。フランスもアメリカも、生産から流通・販売までのワイン産業としての強固な基盤が一貫して出来上がっている。そういう国が自国で開催した場合、どうしても自国ワインを有利に評価するなど、業界とのしがらみから忖度や癒着が起こりやすくなる。

その点、イギリスのワイン産業は基本的に輸入を前提とした流通・販売業である。つまり、“自国ワイン”なるものが存在しないため、世界各国のワインを中立な立場でより公平に審査することが出来やすくなる。そのような理由で、イギリスでの審査には確かな信頼が寄せられているのだ。

さて、牛トマと合わせるワインだが、イギリス人なら当然カベルネ・ソーヴィニヨン主体のボルドーの濃厚タイプを選ぶはずだ。筆者はイギリスとは何のしがらみもないので、筆者独自の公平性(単なる好みか?)に基づき、下記に挙げたオーストラリアのシラーズを選びたい。渋味を抑え果実味が効いた味わいは、トマト風味にぴったりなのである。

メタル・ザ・ブラック シラーズ(Metal the Black Shiraz)
生産地:オーストラリア・南オーストラリア州
生産者:バートン・ヴィンヤーズ
品 種:シラーズ
価格帯:1500円(税抜)~

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