<vol.9> まほろばのワイン

山形県東置賜郡高畠町は“まほろばの里”と呼ばれる。“まほろば”とは、「丘や山に囲まれた稔り豊かで住みよいところ」を指す古語だ。高畠町は全国屈指のブドウ産地として知られ、この地で高品質なワイン造りに取り組んでいるのが「高畠ワイナリー」だ。10年ほど前、この高畠ワイナリー製造部門のI田さんから、突然2本のワインが送られてきた。

I田さんは、筆者が以前勤めていた会社で上司だった人だ。ワインが届く5年ほど前、心に思うところあり会社を辞め、実家のある高畠町へ帰り、地元にある高畠ワイナリーに勤務することになったのだ。ピノ・ノワールとカベルネ・ソーヴィニオンに添えられたメッセージには、自分が丹精込めて手がけたワインをぜひ味わってみてほしいとあった。

当時の筆者は日本ワインのレベルの低さに辟易としており、自分で買うことはまずなく、完全にバカにしきっていた。ところが、このワインを飲んでみて、悪くはないと感じた。日本ワインもなかなか進歩したものだ、と思った。この頃はまだ本格的にワインの勉強を始める前だったので、それ以上的確な表現は思いつかなかったが、とりあえず御礼のメールを送っておいた。

I田さんについて少々補足すると、一言で言って“大酒飲み”である。人生の目的とは何か?と問われれば「飲むこと即ち人生なり」と公然と言い放って憚らない人物である。そしてまた、このI田さんほど旨そうに酒を飲む人を筆者は知らない。ほど良く酔いが回ったときの恍惚とした表情がじつにいい。その幸せそうな顔を見ていると、周りの人まで何とも幸せな気分になってしまうという、愛すべき人格者なのだ。

昨年の5月、東京に諸用があり、せっかくなので山形経由で行くことにし、高畠ワイナリーへ寄ってみた。久々に再会したI田さんからは最近の自信作だという「高畠アルケイディア・セレクトハーヴェスト」をお土産にもらい、自分でもピノ・ノワールを2本買い求めた。その後ワイナリーを散策していて、筆者の目を止めたものがある。それは、建物に掲げられたエンブレムだ。そこには、鬼のような、異形の魔物が酒瓶を抱えている奇妙なイラストが描かれていた。

まるで、チリのコンチャ・イ・トロ社の「悪魔の蔵(=カッシェル・デル・ディアブロ)」を彷彿とさせてくれるではないか、と目を見張った。“悪魔の蔵”とは、その昔、そこに貯蔵されているワインのあまりの美味しさから盗みに入る者が絶えなかったため、創立者が「この蔵には悪魔が棲んでいる」という噂を流し、その美酒を守り続けたことに由来する。

購入したワインの銘柄名を見てさらに驚いた。「高畠ゾディアック ピノ・ノワール」とある。【zodiac】(ゾディアック)とは、西洋占星術における牡羊座、獅子座、山羊座などが連なる天球の「獣帯」(=黄道帯)を指す。それ自体の意味以上に神秘主義と結びついた使われ方をされることが多く、1960年代末に全米を震え上がらせた未解決の連続殺人犯が「the Zodiac」を名乗ったことから、凶々しいイメージがその後定着したのである。

ワインに限らず、日本酒でも「鬼ころし」「鬼伝説」「大鬼」、焼酎なら「魔王」「魔界への誘い」「鬼炎」など、キレのいい辛口ほど、おどろおどろしい名を持つ名酒が多い。「高畠ゾディアック ピノ・ノワール」もすっきりと飲みやすく、日本のピノ・ノワールとしては最高水準のひとつであろうことはすぐに確信できた。ただ、難を言えば“飲みやす過ぎる”という印象も受けた。良くも悪くもすっきりしていて、引っかかるものが乏しい。もうひとクセの何かが欲しいという感じだった。

もう1本、I田さんの自信作「高畠アルケイディア セレクトハーヴェスト」は、カベルネ・ソーヴィニオンを主体にメルロ、プチヴェルドをブレンドした、いわゆる“ボルドースタイル”のものだ。飲んでみて驚いたのは、力強くしっかりとタンニンが感じられるのに、渋みが喉に引っかからない。果実味が豊かで、すっきりと飲める。カベルネ主体でこの味が出せるのは、まさにブレンド技術の妙!さすがはI田さんが渾身の作と自負するだけのことはある、と深く感動した次第である。

“アルケイディア”はギリシャ語由来の【arkadia】=【arcadia】で、「桃源郷・理想郷」の意味。まさに“まほろば”といったところだ。ちなみに「悪魔の蔵」のワイナリーが位置するチリのマイポ・ヴァレーは、いかにも悪魔が棲みそうな荒涼とした土地ではなく、アンデスの山々に囲まれた温暖で穏やかな気候で、ワインの理想郷のような場所だ。太陽と緑に恵まれ、訪れる人を幸せな気持ちにさせてくれる“南米のまほろば”のようなところらしい。

I田さんについて後日談がある。つい最近知ったのだが、製造部門というからにはてっきりワインの醸造を担当しているものと思い込んでいたのだが、じつは彼の担当は瓶詰めラインだったのだ。なるほど、そうだったのか!高畠ワインの高いクオリティを支えているのは、ブドウ栽培やワイン醸造、ブレンドの妙だけではなく、I田さんの精魂込めた“瓶詰めの技”があってこそだったのだ。その事実を知ったとき、何とも言えない微笑ましいものを感じた。やはりI田さんは、つねに周りを幸せな気分にさせてくれる“まほろばの人”なのであった。

右  :高畠アルケイディア セレクトハーヴェスト                           生産地:山形県東置賜郡高畠町                                      生産者:高畠ワイナリー                                         品 種:カベルネ・ソーヴィニオン+メルロ+プチヴェルド                                      価格帯:5000円(税抜)~

中 央:高畠ゾディアック ピノ・ノワール                                              生産地:山形県東置賜郡高畠町                                                   生産者:高畠ワイナリー                                                      品 種:ピノ・ノワール                                                       価格帯:4400円(税抜)~

左  :カッシェル・デル・ディアブロ(Casillero del Diablo)                                    生産地:チリ・マイポヴァレー                                                   生産者:コンチャ・イ・トロ                                                     品 種:ピノ・ノワール                                                        価格帯:1300円(税抜)~

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