好きな前菜はいろいろあるが、「キンピラゴボウ」もそのひとつだ。ゴボウをゴマ油で炒め、醤油やみりん、唐辛子で味付けをした定番の家庭料理だ。ほんのり香るゴマ油の風味とあの独特の噛み応えが味覚を刺激し、ワインとも好相性であるため、ついつい杯が進んでしまうのだ。
キンピラゴボウ
ゴボウを特徴づけているのは、あの独特の“土の香り”である。ゴマ油と一体になったこの風味に合わせるワインは、メルロやシラー、カベルネ・フラン、グルナッシュ、カリニャンなどの赤が良いだろう。ゴボウ以外でも、ニンジン、大根、レンコンなど、さまざまな根菜類を使ったものにもおすすめだ。
大根の皮とニンジンのキンピラ
ところで、キンピラとは漢字では「金平」と書く。これは、江戸時代中期に流行した人形浄瑠璃のひとつである「金平浄瑠璃(きんぴらじょうるり)」の主人公・坂田金平(さかたのきんぴら)から名付けられたという。坂田金平とは、“金太郎”の童話のモデルでもある坂田金時(さかたのきんとき)の息子と伝えられるが、浄瑠璃用に創作された架空の存在らしい。
金太郎の息子・坂田金平
この架空の豪傑・金平の武勇伝で構成された連作群が、金平浄瑠璃ということになる。ちょうど江戸時代のこの時期が、油で炒めた調理法が広く普及し始めた時期でもあり、繊維質で芯の強いゴボウを炒めた料理が坂田金平の無類の強さとも重なり、「金平牛蒡(きんぴらごぼう)」と呼ばれるようになったそうだ。ちなみに、強くて丈夫な足袋を「金平足袋」、威勢がよく元気な女性を「金平娘」と呼ぶこともあったという。
もうひとつの風味の決め手となるのが、ゴマ油だ。ゴマは漢字で「胡麻」と書く。「胡」という漢字は、古代中国において西方民族、つまりペルシャ人のことを意味していた。「胡麻(ごま)」、「胡瓜(きゅうり)」、「胡桃(くるみ)」などは、すべてシルクロードを通じてペルシャから中国へ伝わったものだ。その後、「胡麻油」の精製法が日本へもたらされたのは、奈良時代のこととされる。精進料理や灯火用として、主に仏教寺院で使われるようになるのだ。
胡麻の原産地はアフリカのサバンナ地帯と考えられているが、古代ペルシャへ伝わったのは紀元前5世紀頃と推定される。胡麻の実や胡麻油は、現代のイランにおいてもパンをはじめ、さまざまな料理に広く使われており、ペルシャ料理を特徴づける重要な素材となっている。
胡麻をまぶしたイランのパン「バルバリ」
以前に<vol.68>や<vol.81>でも述べたが、イラン(ペルシャ)がイスラム教化されたのはアラブ勢力との戦いに敗れた642年以降のことであり、それ以前の数千年間はワインなどの酒類は自由に飲まれていたのだ。中でもイラン南部のシラーズ地方は、高度な生産技術を持つワインの一大産地として当時その名が知れ渡り、今日でもワイン文化の歴史的故郷と位置付けられている。
当然、胡麻や胡麻油を使ったペルシャ料理ともワインは合わせられていた。筆者がキンピラゴボウに感じた、胡麻油の風味に味覚を刺激されついついワインが進んでしまうというのも、じつは古代ペルシャ時代からの悠久のワイン文化に通ずるものだったからなのかもしれない。
冒頭で挙げた「シラー(Syrah)」という品種は、フランスのローヌ地方原産である。世界中で栽培されており、もちろん日本でも栽培されている。新世界ワインの名産地であるオーストラリアでも栽培されているのだが、なぜか名称がシラーではなく「シラーズ(Shiraz)」なのだ。
じつは、イランのシラーズ地方で古代から栽培されていたブドウが、フランス原産のシラー種のルーツではないかという説があったのだ。ただし、近年のDNA鑑定の結果、シラーとシラーズには遺伝的つながりがないことが判明している。ただそうではあっても、ワイン文化の歴史的故郷であるシラーズ地方を尊ぶという意味で、オーストラリアではあえて“シラーズ”という名を冠しているそうだ。
ということで、オーストラリアを代表するワイン生産者である「ジェイコブズ・クリーク」のシラーズを下記に挙げておいた。胡麻を伝えた遥か西方の道とワイン文化の歴史的故郷に思いを馳せながら、キンピラとともにじっくりと味わいたいものである。
ジェイコブズ・クリーク シラーズ(Jacob’s Creek Shiraz)
生産地:オーストラリア・南オーストラリア州
生産者:ジェイコブズ・クリーク
品 種:シラーズ
価格帯:1200円(税抜)~