モーツァルトのオペラ「ドン・ジョヴァンニ」が、3月に札幌文化芸術劇場hitaruで上演される。この作品は、「フィガロの結婚」「魔笛」と併せて“モーツァルト3大オペラ”の一つに数えられ、オペラ史に輝く傑作と評されている。恥ずかしながら、筆者はそちら方面にはあまり詳しくない。ただし、モーツァルトとワインとの関わりについては多少知っているので、それについて述べてみたい。
ドン・ジョヴァンニ第2幕フィナーレの晩餐の食卓で、主人公のジョヴァンニがグラスを片手に、“Eccellente Marzimino!”(素晴らしいマルツィミーノだ!)と声高らかに歌い上げ、ワインを飲み干す場面がある。“マルツィミーノ”とは、北イタリア名産の赤ワイン用品種のことだ。なぜ、ジョヴァンニは「素晴らしいワインだ!」ではなく、わざわざ具体的な品種名を挙げたのだろうか?
じつは、モーツァルトは大のワイン好きであったのだ。とくにイタリアワインを好んだと伝えられており、それを知った台本作者のロレンツォ・ダ・ポンテが、かつてモーツァルトが滞在したことのある北イタリアのロヴェレート近郊の名産ワインの名を、あえて台本に書き入れたということらしい。これにより、マルツィミーノは“モーツァルトが愛したワイン”として、広く語り継がれることになる。
演奏する6歳のモーツァルトと父と姉
ウォルフガング・アマデウス・モーツァルトは、1756年にオーストリアのザルツブルグに生まれる。3歳からチェンバロを弾き始め、5歳のときにはすでに作曲もしていたという。彼の天賦の才を見出した父レオポルトは、モーツァルトが6歳になった年、5歳上の姉ナンネルと伴に、最初の演奏旅行としてドイツのミュンヘンへ出発する。その後も、オーストリア、イタリア、フランスなど、ヨーロッパの主要都市を巡る演奏の旅は計17回にも及んだという。
1986年公開の「アマデウス」という映画があった。モーツァルトの死の謎を巡る壮大なミステリーであり、彼の20代後半~35歳で死去するまでを描いたものだ。登場するのは、大人になって名声を得た後のモーツァルトであるため、それ以前に演奏旅行に明け暮れた様子は出てこない。実際には、6歳から20代前半までの15年余を旅に費やしたわけであり、人格形成期のもっとも重要な日々を、旅の中で過ごした人生だったのである。
当時のヨーロッパは、激動の時代であった。ルソーやヴォルテール、カントらの哲学は啓蒙思想を生み、アメリカ独立戦争やフランス革命などへ大きな影響を与える。また、イギリスで始まった産業革命は、労働と社会、経済のあり方を根本から変え、ヨーロッパ全体に急速な都市化をもたらした。18世紀後半は、まさに政治、経済、社会、文化、思想、科学技術等の大変革の時代であったのだ。
モーツァルトは、それらの国々の真っ只中を旅したということであり、当然、彼の音楽性にも大きな影響を与えた。激変する時代の中で、皇帝や王妃、貴族、大司教、恋人との出会いや別離、さまざまな異文化との交流、それらがもたらす多様な感情の起伏は、膨大な名曲の中の各所に散りばめられていると言われている。
モーツァルトの音楽は、ワインともいくつかの共通点を持つ。モーツァルトの曲は複雑な構造を成しているとされ、良質なワインも複雑な味わいを持つ。さらに、彼の音楽は時代を超えて愛され続けており、多くのワインも熟成によって価値が高まるものだ。美しい旋律で綴られた彼の音楽もまた、「極上のワインのように美しくまろやかで味わい深い」と評されることが多いのである。
“モーツァルトが愛したワイン”とされるマルツィミーノであるが、正しくは“マルツェミーノ”【Marzemino】である。これがマルツィミーノとなったのは、台本作者であるダ・ポンテの誤記とされる。単にスペルのミスなのか、あるいはオペラでの発声が良く通るように、あえて【ze】(ツェ)を【zi】(ツィ)したのか、諸説はあるがはっきりしない。
ただ、一つだけ確かなことは、モーツァルトがロヴェレートに滞在したのは、13歳~14歳のときである。とても本格的にワインを味わう年齢とは思えない。フランスやイタリア、スペインなどの国では、特別な日には水で薄めたワインを、子どもにもごく少量だけ飲ませる風習が昔からある。かといって、特定の品種の味わいを心に刻むほどの効果があるとは思えない。
むしろ、台本を書いたダ・ポンテ自身がマルツェミーノを好きだったから、という説も出ているのだ。彼は、ヴェネチアで聖職に就いた経歴を持つ。しかし、放蕩生活を送ったためにヴェネチアから追放されてしまうのだ。その腹いせに、わざとスペルを誤記したように見せたのではないか、というものである。これはこれで面白い説ではあるが、真相は不明だ。
ところで、ワインにモーツァルトを聴かせると、味がまろやかになったり、甘さ、酸味、辛み等のバランスが整う効果があるという。音響専門会社・オンキョーでは音楽の振動をワイン貯蔵樽に伝える「加振器」を開発し、ロック、ダンスミュージック、クラシックで試したところ、モーツァルトを聴かせた場合がもっとも良い結果が出たそうだ。何かと縁が深いモーツァルトとワインであるが、それはともかくとして、マルツェミーノで手に入りやすいものを下記に一本挙げておいたので、興味のある方はぜひお試しのほどを。
マァジ マゼスト(Mas’est Masi)
生産地:イタリア・トレンティーノ アルト アディジェ
生産者:ボッシ・フェドリゴッティ
品 種:マルツェミーノ
価格帯:3000円(税抜)~