<vol.72> 仏教とワイン

“ぶどう寺”と呼ばれる寺がある。山梨県勝沼町にある、国宝にも指定されている「柏尾山大善寺」である。この寺の御本尊は、ブドウを持った薬師如来であり、通称“ぶどう薬師”とも呼ばれている。ここでは、寺の農園で栽培されたブドウを使い、僧侶自らがワインを醸造し、お土産用に販売しているのだという。

山梨県勝沼町・大善寺の御本尊“ぶどう薬師”

以前、<vol.68>でイスラム教とワインとの関わりについて述べた際、最後の部分で仏教の五戒における「不飲酒戒」についてもふれた。本来の仏教では、飲酒を厳しく禁じているにも関わらず、日本においてはまったく守られていない。このこと自体も謎であるが、禁ずることをしないどころか、仏教寺院自らがワインを造って販売までしているのである。このことは、いったいどう解釈すべきなのだろうか。

これは何も、ワインに限った話ではない。平安時代から江戸時代にかけては寺院こそが日本酒造りの中心施設であり、それらは“僧坊酒”(そうぼうしゅ)という名で呼ばれていたのだ。奈良の銘酒として名高い「南都諸泊(なんともろはく)」なども、南都(奈良)の寺院において造られたものであり、その高度な醸造技術は現在の清酒造りの基礎となっているほどなのだ。

そもそも、仏教伝来は538年とされる。この時代、物部氏と蘇我氏という2つの豪族が争っていたと、日本史の授業では習った。じつは、この争いの原因というのが、外国由来の宗教である“仏教”なるものを、日本に受け容れるか否かということだったのだ。結果的に受容派である蘇我氏の主張が通り、欽明天皇は仏教を受け容れる。その後、厩戸皇子(うまやどのおうじ)=聖徳太子と蘇我氏が中心となり、仏教に基づく国づくりが進められることになる。

聖徳太子(中央)と二王子像

特筆すべきは、この時点で仏教はすでに、成立から1000年近い時を経ているということだ。紀元前4~5世紀、インドにおいて釈迦により始められた仏教は1世紀中頃、後漢の時代に中国へ伝わり、多数の仏典が漢訳(中国語訳)される。そして、“仏法僧”(仏=信仰対象、法=教義・教典、僧=聖職者・教団)という、宗教に不可欠な基本3要素(三宝)が長い年月をかけて総合的な体系として整えられていくのだ。

仏教が日本へ伝わった当時、そこにはすでに「神道」が存在していた。ただし、上述の仏法僧のような体系を備えたものではなく、“国造り神話の口伝”に過ぎないようなものであった。古事記や日本書紀が明文化されたかたちの史書として、太安万侶(おおのやすまろ)により編纂されるのは、ようやく712年(和銅5年)~720年(養老4年)のことである。これは明らかに、仏教の持つ精緻な経典からの影響を受けたことが大きいとされる。

神道に対する仏教の影響は、「神仏習合」というかたちで、さらに大胆な融合化が図られる。つまり、天照大神は大日如来の化身であり、八幡神は阿弥陀如来の化身であるとするなど、仏教の仏や菩薩が神道の八百万の神々の姿となり、日本に降臨していたとするものだ。これは当時の仏教の持つ緻密で総合的な教義体系に驚愕し圧倒された結果、仏教こそが全宇宙の真理であり、神道はこれに従属するものと考えられたからである。

末木文美士『日本仏教史』によれば、日本の仏教が本来の仏教とかけ離れた“日本仏教”という独自の宗教に大きく変容した要因のひとつが、この神仏習合にあるという。さらに、漢文(中国語)の訓読による“意訳”の影響も大きい。「レ点」「返り点」などの使用で漢文を日本風に読みこなす技術は画期的な発明だ。ただし、ネイティブの中国語とは微妙な違いも生じてしまう。後に親鸞が唱えた、浄土真宗における「他力本願」の思想も、阿弥陀如来の力を拡大解釈した結果と考えられると指摘している。

仏教にはまた、付随するものも膨大だった。最先端で洗練された思想であると同時に、寺院などの建築技術や仏像造りの工芸技術、科学、哲学、文学、漢方医学、組織制度など、国家運営や人々の生活に欠かせない、さまざまな知識や技術をもたらしたのだ。聖徳太子が仏教による国造りを目指した理由も、もっともなのである。食生活に関して言えば、味噌や醤油など発酵食品の生産技術が伝わったのもこの時代である。

神道はもともと、稲作文化を基盤としたものだ。豊作を喜び、米から酒を造って神様に供え感謝するという風習が古くから行われてきていた。酒造り自体は、米作りとともに日本国内で自然発生したものと考えられるが、“発酵”という高度技術のもと、一定水準の酒を安定して生産できるようになったのは、味噌・醤油造りからの影響が大きい。そしてその担い手こそが、仏教寺院の僧侶たちであり、神道における酒造りと飲酒の伝統は、このようにして仏教の中に取り込まれるのである。

大善寺の山門

本来の仏教における“不飲酒戒”が、日本においては伝来当初から無いも同然に形骸化された理由はここにある。その歴史的経緯については、いま述べたとおりである。では、冒頭写真の“ぶどう薬師”が意味するものは何なのだろうか?大善寺が位置する山梨県勝沼町は、日本の白ワイン用固有種「甲州」の栽培発祥の地として知られる。その始まりは、一つの伝説に由来するのだ。

718年(養老2年)、奈良の高僧・行基が仏教普及のため諸国を回り勝沼を訪れた際、夢の中にブドウを持った薬師如来が現われ、ブドウには薬効があることを告げたという。その姿を木像にして安置したのが、大善寺の開創とされている。現代でこそ、ブドウのポリフェノールには抗酸化作用や動脈硬化を防ぐ作用があることが解明されているが、1300年前にそれを見越していたとは、さすがは薬師如来であると言える。

そのようにして栽培が始まった甲州であるが、この品種はヤマブドウのような日本古来の野生種とは異なるものだ。どこから来たのかが長年の謎だったが、近年、DNA解析の結果、欧州・中東系品種と中国の野生種のDNAが含まれていることが判明したのだ。そこから見えてくるのは、シルクロードの存在である。はるかカスピ海付近の地で生まれ、中国に伝わったブドウが、遣隋使・遣唐使により仏教とともに日本へやって来たということだ。

行基によって勝沼にもたらされた甲州は、薬用・生食用として大善寺に受け継がれ、明治以降は白ワイン用の醸造品種として広まり、現在は世界的にも高い評価を確立するまでになっている。ところで、筆者の夢に薬師如来が現われたことはないのだが、ワインを常飲するようになってから、抗酸化作用のせいなのか、アンチエイジング効果が出ているような気がしている。単に気のせいかも知れないのだが。

大善寺住職の手造りワイン
生産地:山梨県勝沼町
生産者:柏尾山 大善寺
品 種:甲州(左) マスカット・ベーリーA(右)
価格帯:1650円(税込)~

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