<vol.68> イスラム教とワイン

ワイン発祥の地が、8000年前のジョージアであることは、<vol.42>で詳しく述べた。これは近年、世界最古のワインの遺跡がジョージアで発見されたからであって、それ以前は長い間、6000年前のメソポタミアが世界最古の地と考えられていたのだ。メソポタミアとは、現在のイラクの辺り。イスラム教を信奉するエリアである。

イスラム教の寺院「モスク

イスラム教というと、戒律の厳しさで知られる。一日5回のお祈りや、豚肉をはじめとする食べ物に関する細かな禁忌。ワインはもちろん、すべての酒類が禁じられている。ただし、イスラム教が成立したのは、610年つまり7世紀のことであり、それ以前はワインなどの酒類は、自由に飲まれていたのだ。

というのも、世界最古に属するワイン発祥の地であるということは、それだけワイン造りにふさわしい環境があったからということだ。チグリス川とユーフラテス川が流れるこの地は、農業に適した肥沃な土壌と豊富な日照量、昼夜の寒暖差などがあり、まさにブドウ栽培に最適な環境に恵まれた土地だったのだ。

その後、紀元前4500年頃にはエジプトで、紀元前2000年頃にはペルシャ(現在のイラン)でワイン造りが始まる。すべて現在のイスラム圏である。古代ギリシャや古代ローマなどヨーロッパでワイン造りが始まるのは、ようやく紀元前6~8世紀の頃。中東のイスラム圏のほうが、圧倒的に古い歴史を持っているのだ。

15世紀イラン・ティムール朝での宴会風景

そのように数千年に渡りワインに親しんできた人たちが、いくら宗教で禁じられたからといって、本当に止められるものなのだろうか?筆者は長年に渡り、この点に疑問を持ってきた。上記の絵画を見てほしい。これは、15世紀イラン・ティムール朝での宴会風景を描いたものであり、その名も「Wine Drinking in a Spring Garden」(米国・メトロポリタン美術館蔵)というタイトルだ。イスラム美術には、このような作品が多数存在するのだ。

以前に<vol.50>にも登場した、筆者の古い友人で通訳ガイドのI上さんは、かつてインドネシアにも駐在した経歴を持つ。この国もバリバリのイスラム教国だ。ある日のこと、同僚のインドネシア人が職場の宴会で平然と酒を飲んでいるのを見て、わが目を疑ったという。飲んでも良いのかと聞いてみたところ、「コーランでは酒を禁じているのではなく、酔っ払うことを禁じている。私は酒に強く、飲んでも酔っ払うことはないので大丈夫なのだ」と答えたという。

たしかに、彼の言い分には一理ある。イスラム教の経典である「コーラン」第5章90節には、「ハムル(ワイン)や賭け矢(ギャンブル)などは理性を失わせ、アッラーへの礼拝を怠らせる恐れがあるので避けるべし」という主旨のことが書かれている。つまり、コーランが明確に禁じているのは、アッラー(神)への信仰が疎かになる事態であり、酒そのものではないとも解釈できるのだ。

イスラム教ではまた、「公共」という概念をひじょうに大切にするという。高野秀行『イスラム飲酒紀行』という本は、さまざまなイスラム教国における飲酒事情を詳細にレポートした、秀逸な実体験記だ。この本によれば、ムスリム(イスラム教徒)の人々は家から一歩外に出ると、“公共のルール”つまりイスラム教の戒律を厳格に遵守する。公共の場で酒を飲むようなことは、絶対にしない。ただし、家の中ではけっこう自由に飲んでいるらしいのだ。

中でもイランは、もっとも厳格なイスラム原理主義による統治で知られる。女性は外出の際、ヒジャブで髪を覆い、チャドルと呼ばれる黒い衣装で身を包まなければならない。もちろん、飲酒も禁じられている。ただし、1979年のイラン革命以前のパーレビ王朝の時代は、アメリカ寄りの親米国家であり、イスラム教を国教としながらも、服装や飲酒についてはかなり寛容だったのだ。

そもそも、イランとはペルシャ人の国であり、世界最古の宗教であるゾロアスター教を生んだ地でもある。ゾロアスター教には「ハオマ酒」という聖なる酒があり、健康と活力をもたらすものとして好んで飲まれてきていた。イランがイスラム教化されたのはアラブ勢力との戦いに敗れた642年以降のことであり、その後もゾロアスター教に由来する伝統文化は、民衆の暮らしの中に生き続けてきたらしい。やはり、家の中では飲んでいるのだという。

一方トルコは、公共の場で飲酒が認められている国だ。これは、1923年のトルコ共和国建国の際に、アタチュルク初代大統領が政教分離を行い、世俗主義を取り入れたことによる。他の国では、家で隠れて飲むため、手に入るのはせいぜいドブロクのような自家製ワインか、密輸入酒に過ぎない。それに比べ、トルコでは正規のワインメーカーが存在し輸出もしている。巻末に挙げたのは、その代表的な1本だ。

イスラム教がコーランの中で、どういう意味で酒を禁じているかについては、前述の通りである。では、明確に“酒そのもの”を禁じている宗教はあるのだろうか?ちなみに、キリスト教に関しては<vol.13>でも述べたが、教祖のキリスト自身がワインを嗜み、人々にも飲むことを推奨している。筆者の知る限り、あきらかに酒を禁じている宗教が一つだけ存在する。それは“仏教”である。

仏教には、“五戒”というものが存在する。旧約聖書にも「モーゼの十戒」というものが登場するが、「汝、飲むなかれ」とは書かれていない。ところが仏教では、「不殺生戒」「不偸盗戒」「不邪淫戒」「不妄語戒」「不飲酒戒」の五戒が定められており、最後の戒で明確に飲酒を禁じているのだ。しかもこれは、ブッダが弟子たちに直接説いたものだという。

で、あるにも関わらず、敬虔な仏教国として知られるタイやミャンマーでも、酒類は誰でも自由に飲むことが出来る。チベットは僧侶には厳しいが、一般人は自由に飲んでいるらしい。日本も一応は“仏教国”の一つに数えられるが、「不飲酒戒」などまったく守られていない。考えようによっては、むしろイスラム教国の実態以上に、摩訶不思議で奇妙な話ではないかと思えてしまうのだが。

ヤクーツ(YAKUT)
生産地:トルコ・東アナトリア地方カヴァクリデレ
生産者:カヴァクリデレ
品 種:オクズギョズ・ボアズケレ主体
価格帯:1900円(税抜)~

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