“酒の神”なるものが存在する。ギリシャ神話に登場する「ディオニュソス」である。ローマ神話では、別名の「バッカス」と呼ばれる。最高神ゼウスとその愛人セメレーとの間に生まれたとされ、ブドウ栽培とワインの製法を人間に伝授したことで、神々の一人として崇められるようになったという。ブルゴーニュの名門「ルイ・ジャド」(Louis Jadot)のラベルに使われていることでもおなじみだ。
ルイ・ジャドのラベルに描かれたディオニュソス
ギリシャでは、ワイン造りの歴史も古い。紀元前4000年からとされるので、およそ6000年前である。<vol.42>「世界最古のワイン」でもふれたが、ジョージアで約8000年前の最古の遺跡が発見されるまでは、ギリシャやメソポタミア地方が最古の地と考えられていた。とくに、ブドウ栽培に最適な地中海性気候に恵まれたギリシャでは、さまざまな土着品種からワインが造られ、古くから民衆の生活の中に浸透していたのである。
ディオニュソスは、ギリシャの民衆から強く信奉された。彼は最終的には太陽神アポロンなどオリンポス十二神の一柱に加えられるが、長いこと“冥界の神”とされていた。酒の持つ“負”の側面、つまり人々に幸福感を与えるだけではなく、酩酊させ、狂乱させ、堕落させるなどが、この神の仕業と考えられてきたからである。それでも民衆は、人間の理性や秩序だけでは満たされないものをディオニュソスに求め、アクロポリスの丘に建てられた劇場では、彼を崇拝するお祭りが頻繁に開催されていたという。
紀元前750年頃に成立したとされるホメロスの叙事詩『イリアス』には、勇士アキレスの食事シーンが登場する。羊や山羊、豚の肉を串焼きにし、ワインとともに食する。十分に飲食を堪能したあと、定型句のように述べられる言葉がある。「飲食へのエロースを追い払った」である。“エロース”とは、「愛着」「欲求」の意味で、のちにプラトンがもっとも重視した哲学用語のひとつでもある。このような言葉が食事のあとの「ごちそうさま」のように使われているあたりが、哲学を生んだ国である、いかにもギリシャらしいところだ。
ギリシャ神話最大の英雄といえば、ヘラクレスだ。9つの首を持つ大蛇ヒュドラや狂暴猛々しいクレタの牡牛、地獄の番犬ケルベロスなど、数多くの悪漢怪物と対決し、これらをすべて退治する。彼はまた、大食漢で大酒飲みでもあったとされ、牛一頭、酒甕(かめ)3個分のワインを一度に平らげたという。ヘラクレスに限らず、イリアスに登場する英雄たちはみな、食欲旺盛な酒豪だらけである。これは、ホメロスが英雄豪傑とは“肉を食らいワインをガブ飲みする”存在として象徴的に描いたためであると考えられている。
タコと海藻文様の壺
実際のギリシャは、エーゲ海に突き出た半島と大小数千の島々からなる海洋国家であり、豊富な水産資源に恵まれている。肉よりもむしろ、魚介類のほうが多く食べられてきたのである。とくに、西洋では“デビル・フィッシュ”(devil fish)として嫌われている、「タコ」を好むことで知られる。クレタ島から出土した紀元前15世紀頃の遺跡からは、上記写真のタコと海藻の文様が描かれた壺が発掘されており、古くから重要な食材として扱われていたことが想像できる。
タコとワインが合うことは、<vol.46>「たこ焼きとワイン」でも述べたとおりである。ギリシャは地中海料理の本場であり、マリネやカルパッチョ、アヒージョなど、オリーブオイルとレモン効かせたタコ料理は、自宅でも簡単に作ることが出来る。合わせるワインは、古代から飲まれてきたという土着品種「クシノマブロ」の赤がおすすめだ。この品種はピノ・ノワールと同じく果皮が薄いため、一見軽めの飲み口でありながら、果汁由来のしっかりとした味わいがあり、魚介類にもよく合うのだ。
ところで、古代ギリシャではワインを水で割って飲んでいたという。この時代のワインはアルコールがかなり高めだったためで、専用の「混酒器」を用いてほど良い割合に仕上げ、大勢で語り合いながら長時間に渡って飲み続けたらしい。そのような宴会のことを「シュンポジオン」(symposion)と呼び、これが現代の「シンポジウム」(symposium)=「学術会議・研究討論会・対話集会」の語源になったと言われている。
哲学の祖であるソクラテスも、その弟子プラトンも、このシュンポジオンにおいてワインを飲みながら議論し、ひたすら真理の探究を目指していたということだ。以前に<vol.11>では近代資本主義の芽がワイン造りの労働の中から育まれたことを、また<vol.13>では近代科学への視点がブドウの生育観察などを通じて培われたことを、それぞれ述べた。そして、古代ギリシャ発祥の哲学もまた、ワインを通して誕生したものだったのだ。ワインとは、つくづく奥深いものなのである。
キリ・ヤーニ カリ・リーザ(Kir-Yianni Kali Riza)
生産地:ギリシャ・PDOアミンデオン
生産者:キリ・ヤーニ
品 種:クシノマブロ
価格帯:2000円(税抜)~