映画「007」シリーズは、イギリス秘密情報部員ジェームス・ボンドが活躍するスパイ・アクションだ。1962年の第1作から始まり、2021年の第25作まで60年近く続いている超人気シリーズである。中でも初期の最高傑作と評されているのが、初代ボンドをショーン・コネリーが演じた第2作「007/ロシアより愛をこめて」(1963年公開)だ。
007シリーズといえば、毎回登場する“秘密兵器”も見物のひとつだ。特殊機能付きボンドウォッチや空飛ぶジェットバック、ミサイル搭載の水陸両用ボンドカーなど、その時代の最新鋭のハイテクものばかりである。ところが、第2作に関しては“アタッシェケース”が秘密兵器として登場する。一応、催涙ガス噴射装置が仕込まれてはいるが、後期の作品に比べると、きわめて地味と言っていい。
また、当時はCGはもちろん、SFXなど高度な特撮もなかった時代なので、現在のようなド派手なアクションシーンはない。ただし、その分だけストーリーが重視され、スパイ同士の緻密な駆け引きやウィットに富んだ会話などがていねいに描かれている。その中で、重要な小道具として登場するのが、ワインなのだ。
オリエント急行での食事シーン
ボンドガールを務めたのは、1960年準ミスユニバースのダニエラ・ビアンキ。ソ連から亡命した元スパイの役だ。彼女と夫婦を装い、イスタンブールからオリエント急行に乗り込みロンドンへ向かうボンドに、イギリス人将校に化けたソ連の特殊諜報員の男が親しげに声をかけてくる。そして、一緒に食堂車でディナーを摂ることになるのだ。
3人がオーダーしたのは「舌平目のグリル」だ。合わせるワインとして、ボンド夫妻は「ブラン・ド・ブラン(Blanc de Blanc)」を頼む。これは“白の中の白”という高貴な白ワインの意味で、この場合は繊細な白ブドウのみで造られる高級シャンパン「テタンジェ」を指している。これに対し偽イギリス人将校が頼むのは、“赤のキャンティ”なのだ。
一瞬、怪訝そうな表情を見せるボンド。“魚料理に赤ワイン”は、イギリス人には普通ありえない組み合わせだ。言葉には出さないが、何か違和感を覚えた様子がわかる。偽将校は、その夜ついに正体を現す。客室に戻ったボンドと今後の予定などを話していると、いきなりピストルを突きつけるのだ。あわや危機一髪のボンドだが、先ほどのアタッシェケースから催涙ガスを噴射させ、辛うじて難を逃れる。そして、つぶやくセリフがこれだ。”Red wine with fish. That should have told me something.” (魚に赤ワインか・・・・気づくべきだったな)と。
当時は、東西冷戦の真只中。このシーンが語っているのは、“魚に赤ワインを合わせる野暮なロシア人”という、イギリス人から見た嘲笑である。“赤”はまた、共産主義のシンボルカラーでもあり、それに対比してブラン・ド・ブランの“高貴な白”というのも、ひとつの暗喩となっている。逆に嘲笑された側としては、腹立たしい限りだ。007シリーズは、ロシア人をコケにした好ましくない映画として、1991年のソ連崩壊まで国内では上映禁止となるのだ。
そもそも、魚に赤ワインが合わないことがないのは、<vol.14>「焼き魚とワイン」でも筆者が力説している通りである。まして、キャンティだ。イタリアのカジュアルワインであり、肉とか魚とかあまり気にせず何にでも気軽に合わせることが出来るはずだ。この作品は1970年代~80年代にかけて、テレビの洋画劇場などで何度も放映されていた。日本でも、つい最近まで“魚には白”というイメージが定着していたが、ボンドのあのセリフが影響しているのではないかと筆者は思っている。
ところで、日本にはイギリスのような情報機関はないが、唯一近い役割を果たしているのが、外務省の各国大使館に駐在する外交官だ。作家の佐藤優は元外務省国際情報局主任分析官であり、かつてモスクワの日本大使館に勤務した経歴を持つ。1991年8月のソ連クーデターの際には、安否不明だったゴルバチョフ大統領の生存情報をいち早くスクープし、世界に先駆けて発信したことで知られている。
彼によれば、実際の情報収集活動とは、007のようなカッコいいものではなく、各国の要人達とひたすら酒を酌み交わし、身内のように親しくなって独自のパイプを築くことだという。求められるのは、強靭な“飲酒力”であり、それこそが国益の源となる極秘情報を引き出す力となる。まさに“飲むこと即ち国益なり”といった感じだ。筆者が出会った中で、いちばんの大酒飲みといえば、<vol.9>「まほろばのワイン」に登場したI田さんだ。彼が聞いたなら、泣いて喜びそうな話である。
今回紹介するワインは、一応映画にも登場したシャンパーニュの「テタンジェ」だ。さすがにブラン・ド・ブランだけに、いい値段である。これ以外でも、スペインのカヴァやイタリアのフランチャコルタなど、千円台で買える良質なスパークリングは豊富にある。シャンパーニュと同じ瓶内二次発酵で造られており、かつリーズナブルなのはありがたい限りである。
テタンジェ コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン
(Taittinger Comtes de Champagne Blanc de Blanc)
生産地:フランス・シャンパーニュ地方
生産者:テタンジェ
品 種:シャルドネ
価格帯:28000円(税抜)~